109. 豚児 ( とんじ )
愚かな子供。自分の息子の謙称。
110. 豚に真珠 ( ぶたにしんじゅ )
高価なものでも、その価値を知らない者には役に立たないことのたとえ。
【参考】 新約聖書に、To cast pearls before swine. とある。
【類句】 猫に小判
111. 豚肩豆を掩わず ( とんけんとうをおおわず )
豚の肩の肉を盛ったのが少量のため、器をおおうほどでないという意で、非常に倹約することのたとえ。
晏子が先祖をまつるのに質素であった、という故事による。
【参考】 「豆」は、木製の器(高杯)をいう。
112. 豚に念仏猫に経 ( ぶたにねんぶつねこにきょう )
理解できないものに、どんな有り難い教えを説いても無駄である。
【類句】 馬の耳に念仏
113. 豚を盗んで骨を施す ( ぶたをぬすんでほねをほどこす )
大悪を犯しながらわずかな慈善を施すこと。
114. 豹は死して皮を留め人は死して名を残す
( ひょうはししてかわをとどめひとはししてなをのこす )
人は死後に名誉・功績を残すべきである、というたとえ。
豹が死んで美しい皮を残すように、人は死後に美名を残さなくてはならない、という意味。
115. 君子は豹変す ( くんしはひょうへんす )
「豹変」は豹の毛が抜け変わってその文様があざやかになることで、教養のある人は、
過ちと知ったらすぐに改めて善に移るのが、極めてはっきりしている。
現在では、主義・主張をドライに変えることの意味に使うことが多い。
116. 一斑を見て全豹を卜す ( いっぱんをみてぜんぴょうをぼくす )
物事のごく一部分から全体を推察する意。
豹の皮の一つの模様を見ただけで、豹の全体の美しさを推量すること。
【参考】 「斑」は、まだら、ぶち。
【類句】 蛇首を見て長短を知る
117. 有象無象 ( うぞうむぞう )
たくさん集まったくだらない者ども。群衆。「象」は形。
もともと仏教で、形があるもの形がないもののすべて、天地間にある一切のもの、の意。
118. 群盲象を評す ( ぐんもうぞうをひょうす )
凡人が大事業や大人物を批判しても、その一面に触れるだけで、全体を見渡すことはできないということ。
多くの盲人たちが一頭の象をなでて、それぞれ自分の触れたところだけで、桶のようだ、太鼓のようだ、
杖のようだ、ほうきのようだ、と見当違いの批判をしたという故事。
【参考】 「群盲象を撫(な)つ」ともいう。
119. 女の髪の毛には大象も繋がる
( おんなのかみのけにはたいぞうもつながる )
女の髪の毛で作った網は、大きな象を繋いで引っ張っても切れないほど強い。
女の色香が男を引き付ける力の強いことをたとえていう。
120. 鼬になり貂になり ( いたちになりてんになり )
手をかえ品をかえ、いろいろやってみること。
【参考】 テンはイタチ科の小獣。
121. 鼬のなき間の貂誇り ( いたちのなきまのてんぼこり )
鼬のいない所で貂(鼬の一種)が威張る。自分より強い者がいない所で大いに威張ること。
【類句】 鳥無き里の蝙蝠
122. 蝙蝠も鳥のうち ( こうもりもとりのうち )
蝙蝠も空を飛ぶことからいえば、鳥の仲間に入れることができる。
取るに足らぬ人でもやはり人数のうちであるという意味。
123. 鳥無き里の蝙蝠 ( とりなきさとのこうもり )
鳥がいない村里の蝙蝠は、自分が鳥でないのに威張って飛び回る、ということから、
優れた人のいない所で、つまらない者が幅をきかせて威張っていること。
【参考】 In the country of the blind, the one-eyed man is king.
【類句】 鼬のなき間の貂誇り
124. 驥尾に付す ( きびにふす )
「驥尾」は一日に千里を走るという名馬の尾のことで、自分自身の力では遠くまで飛べない青蠅(あおばえ)も駿馬の尾に取り付けば、
一日に千里を行くことができるという意から、才知のない人がすぐれた先輩のあとにつき従って、
自分だけではできないようなことを成し遂げる。後輩が、優れた先輩の引き立てで出世すること。
特に、自分の仕事などについて謙遜して言うのに用いる。
【参考】 『後漢書(ごかんじょ)』隗囂伝(かいごうでん)に「蒼蠅(そうよう)の飛ぶや、数歩に過ぎず。即(も)し驥尾に託すれば、以て群を絶するを得」とある。
125. 驥足を展ぶ ( きそくをのぶ )
すぐれた才能のある者が、十分に能力を発揮するたとえ。
「驥」は、一日に千里を走るという名馬。名馬が全力を出して走る意。
126. 驥をして鼠を捕らしむ ( きをしてねずみをとらしむ )
千里を走る名馬にネズミを捕らせるということ。
人を使う道をあやまって、すぐれた有能の人につまらない仕事をさせること。
また、有能な人も無能な人も区別がつかないことのたとえ。
127. 老驥千里を思う ( ろうきせんりをおもう )
英雄が年は老いても元気が衰えないというたとえ。
老驥とは老いた駿馬(しゅんめ)、老いたる英傑(えいけつ)のこと。
128. 蒼蠅驥尾に付して千里を致す
( そうようきびにふしてせんりをいたす )
アオバエが名馬の尾にとまって、千里の先まで行く。凡人が賢人や俊傑の後ろについて、功名をなすにたとえる。
【参考】 「蒼蠅」は、アオバエ。転じて君側のざん者、侫人のたとえ。
129. 騏も一日に千里なる能わず ( きもいちにちにせんりなるあたわず )
どんな名馬でも一日に千里も行くことはできない。
学問は一足とびに達するものではないことのたとえ。
130. 騏驥も一躍十歩なる能わず ( ききもいちやくじっぽなるあたわず )
駿馬も一とびが十歩ではない、一歩は一歩である。
賢者でも学問をするには順序を追って進まなければならない。
131. 麒麟の躓き ( きりんのつまずき )
千里を行く名馬も時につまずくことがあるように、どんなすぐれた英才でも、時にはしくじること失敗があるというたとえ。
132. 驢に騎りて驢をもとむ ( ろにのりてろをもとむ )
ロバに乗っていながら、ロバはいないかと捜すことで、近くに捜しているものがあるのに、遠くを探すことの愚かさをいう。
「牛に騎りて牛をもとむ」ともいう。
133. 獣にも屠所の歩み ( けものにもとしょのあゆみ )
屠所とは獣類を屠殺する場所で、この屠所へ引かれてくると、獣でも歩き方が変わるということ。
134. 獣を得て人を失う ( じゅうをえてひとをうしなう )
獣は手に入れたが、そのために人命を失った。
つまり、得るところが少なくて、失うことが多いことにたとえる。
135. 人面獣心 ( じんめんじゅうしん )
人の道にはずれて、恩や恥を知らない人。
顔は人間に違いないが、心は獣と同じであるという意。恩義を知らない者をののしっていう語。
136. 沐猴にして冠す ( もっこうにしてかんす )
野卑な人をあざける語。「沐猴」は猿。猿が着物を着て冠をつけているようだ、という意味。
人君の地位につく資格のない野人ということ。
【類句】 猿に烏帽子
137. 燃犀の明 ( ねんさいのめい )
言い伝えによると、犀の角を燃やした光は、水中深くの普通は見えないところが見える、ということから、
物事を明確に見抜く才知のたとえ、のことをいう。
138. 山より大きな猪は出ぬ ( やまよりおおきないのししはでぬ )
誇張するにも程度があるということ。
大きいということをたとえるのに、山のようなというが、そこまではよいとしても、
より大きいというのはよくない。