33. 邯鄲の歩み ( かんたんのあゆみ )
自分の本分を捨てて、むやみに他人のまねをすると、両方ともだめになるというたとえ。
邯鄲の都の人は歩き方がスマートなので、田舎の青年がそれを学びに行ったが、
学び終わらないうちに、自分の国の歩き方を忘れてしまい、這って帰ったという故事による。
34. 邯鄲の夢 ( かんたんのゆめ )
人の世の栄枯盛衰のはかないたとえ。
盧生(ろせい)という若者が邯鄲という都の宿屋で不思議な枕を借りて寝たところ、良い妻を得、諸侯となり、
良い子に恵まれ、富み栄えて、年八十を超えるまで長生きするという、平素あこがれていた人生一代の栄華を夢に見た。
目覚めてみるとそれは、宿屋の主人が黄粱(あわ)を一炊きする、ごく短い時間であったという故事。
【参考】 「盧生の夢」「黄粱一炊の夢」「邯鄲夢の枕」「邯鄲の枕」「黄粱の夢」「一炊の夢」ともいう。
35. 小田原評定 ( おだわらひょうじょう )
長引いて結論のでない相談。
豊臣秀吉が小田原城を攻めた時、北条氏直が臣下を集めて、和戦のいずれを取るかの評定をしたが、
結論が長く続いて決着せず、ついに滅亡してしまった故事から出た言葉。
36. 隗より始めよ ( かいよりはじめよ )
物事を始める時にはまず手近なことから始めるべきだ。また、まず言い出した人間が率先して始めるべきだ。
【参考】 「先ず隗より始めよ」ともいう。
【例】 「エコの為に何かしよう。まず、隗より始めよ、で私はエコバックを持ってきた。」
37. 呉越同舟 ( ごえつどうしゅう )
仲の悪い者同士が、同じ場所にいたり行動を共にしたりすること。
【参考】 「同舟相救う」ともいう。
38. 呉下の阿蒙 ( ごかのあもう )
進歩のない昔のままの人物。三国時代の魯粛が久しぶりにあった呂蒙に対して、君は今では学問も上達していて、
昔、呉にいたときの蒙君ではない、といった故事による。「呉下」は呉の地方、「阿」は親しんで呼ぶときに添える語、
日本語の「お」にあたる。
39. 遼東の豕 ( りょうとうのいのこ )
ひとりよがり。他人から見れば少しも価値のないものを自慢すること。
遼東の人が白い頭の豚の子が生まれたので、大変珍しいと思い、献上しようとして河東へ行ったところが、
その地の豚は皆白かったので、恥ずかしくなって帰ったという故事。
40. 越鳥南枝に巣くう ( えっちょうなんしにすくう )
故郷が忘れがたいたとえ。
南方の揚子江の南、越の国から北国に飛んで来た渡り鳥は、故郷を慕って必ず南側の枝を選んで巣を作る。
41. 郢書燕説 ( えいしょえんせつ )
こじつけて、もっともらしい解説をすること。
郢の君が、燕の国の宰相に送る手紙を口述して書記に書かせていた時、夜で灯火が暗かったので、「燭を挙げよ」と言った。
すると書記は「挙燭」の語を手紙の中に書いてしまった。その手紙を受け取った燕の宰相は、それが書き誤りとは知らず、
「燭は明かりであるから、明をあげよという意味で、真意は賢明な人を登用せよと言うことである」と燕王に申し上げ、
その結果、国がよく治まったという故事による。
42. 宋襄の仁 ( そうじょうのじん )
無用のあわれみ。不必要な情けをかけること。春秋時代、宋の襄公が楚の国と戦った時、
公子は敵の陣が整わないうちにお撃ちなさいと勧めたが、襄公は君子は人が困っている時に苦しめることはしないものだと言って攻撃せず、
敵に十分の準備をさせてから戦って負けてしまったという故事。
43. 函谷関の鶏鳴 ( かんこくかんのけいめい )
奇策を用いて危機を脱出すること。
斉の孟嘗君は秦の昭王に招かれて行って計略のために幽閉されたが、狗盗(こそ泥)の働きによって助けられて脱出し、
国境の函谷関まできた。まだ夜は明けないし、ぐずぐずすると追手に捕えられる。
この関所の門は一番鶏が鳴くと開けられるので、鶏の鳴き声のまねの得意なものがいて、
鳴き声をまねたところ、近くの鶏がみんな鳴きだしたので、門は開かれて一行は脱出することができたという故事。
函谷関は戦国時代に秦が設けた関所で、今の河南省霊宝県の西南にあり、高原で地形が険しいので知られている。
【参考】 鶏鳴狗盗
44. 華胥の国に遊ぶ ( かしょのくににあそぶ )
よい気持ちで昼寝をすること。
古代の天子の黄帝が、昼寝の夢の中で、理想的な国家である華胥の国に遊んだという故事による。
45. 駿河の富士と一里塚 ( するがのふじといちりづか )
比べものにならないこと。とうてい及ばないことのたとえ。
46. 箱根知らずの江戸話 ( はこねしらずのえどばなし )
箱根山も知らない関西の人が江戸の話を得意に話すことで、そこに行ったこともなければ、見たこともないが、
いかにも知っているかのように話すことをいう。
47. 難波の葦は伊勢の浜荻 ( なにわのあしはいせのはまおぎ )
難波(今の大阪)で葦といわれる植物は、伊勢(今の三重)では浜荻という。
同じ物でも所によって呼び名がたいそう変わることを言ったもの。
【参考】 『菟玖波集(つくばしゅう)』に「草の名も所によりて変わるなり難波の葦は伊勢の浜荻」とある。
【類句】 所変われば品変わる
48. 近江泥棒に伊勢乞食 ( おうみどろぼうにいせこじき )
近江(滋賀県)や伊勢(三重県)の商人が江戸に出てきて、勤倹貯蓄して産をなし、
商権を握ったのに対し、宵越しの金を使わぬ江戸っ子がののしって言った言葉。
49. 行徳の俎 ( ぎょうとくのまないた )
行徳は千葉県にある町の名で、行徳では馬鹿貝がよくとれる。
その町の俎は馬鹿貝ですれている。馬鹿で人擦れしていること。
50. 洛陽の紙価を貴む ( らくようのしかをたかむ )
著書の売れ行きがよいこと。晋の時代、左思が十年かかって「三都の賦」という文章を作った。
するとその作品が人々に賞賛され、評判がぐんぐん上がり、都の洛陽の人々は争ってこれを写して読んだ
(当時はまだ印刷術が発明されていなかった)。そのため洛陽では、紙の値段が高くなったという故事による。
51. 清水の舞台から飛び降りる ( きよみずのぶたいからとびおりる )
非常な決意をするたとえ。京都の清水寺は懸崖に臨んで舞台を架してあるからいう。
52. 日光を見ずして結構と言うな ( にっこうをみずしてけっこうというな )
日光の東照宮の建築の美しさこそは「けっこう」という言葉に値する。
【類句】 ナポリを見てから死ね
53. 秋葉山から火事 ( あきばさんからかじ )
秋葉山には火難よけの秋葉神社がある。その秋葉山から火事が出たというので、
他を戒めているうちにおひざもとであやまちを犯すことをいう。
54. 飛鳥川の淵瀬 ( あすかがわのふちせ )
飛鳥川(奈良県の中部を流れて、大和川に合流する小さな川)は、水流の変化がはなはだしく、
そのため深い所(淵)と、浅い所(瀬)とが変わりやすいことから、
世の中や人情が絶えず移り変わって、無情なさまをいう。
【参考】 『古今集』雑下の「世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる」という歌に基づく。
55. 八幡の藪知らず ( やわたのやぶしらず )
迷ってしまったり、出口がわからなくなることをいう。
千葉県市川市の八幡にある竹藪についての伝説で、この中に入ると迷って出口がわからなくなるといわれた。
56. 会稽の恥 ( かいけいのはじ )
敗戦の恥辱をいう。春秋時代に越王(えつおう)の勾践(こうせん)が、呉王の夫差と戦って負け、
会稽山(浙江省(せっこうしょう)にある)に逃げ込み、屈辱的な講和をさせられた恥を、多年辛苦の後にすすいだ故事による。
【参考】 臥薪嘗胆
【参考】 「会稽の恥を雪(すす)ぐ」の形で使う。「すすぐ」は「そそぐ」ともいう。運動競技などの雪辱にも「会稽の恥を雪ぐ」という。
57. 鹿島立ち ( かしまだち )
旅に出ること。旅行に出発すること。門出。出立。
鹿島神社と香取神社の祭神が、天孫降臨に先発して葦原中つ国を平定した吉例によるとも、
また、軍旅に上る武人や防人が鹿島神宮の前立ちの神に途中の安全を祈ったことによるともいわれる。
58. いざ鎌倉 ( いざかまくら )
大事の起った場合、危急の場合にいう。
さあ、たいへん、鎌倉(幕府)に一大事が起った、という意味。
59. 敵は本能寺にあり ( てきはほんのうじにあり )
明智光秀が天正十年(1582年)に備中国の毛利勢を攻めに行くと見せかけて、
京都の本能寺に宿泊中の織田信長を襲ったことから、本当の目的は、別のところにあるということ。
60. その手は桑名の焼き蛤 ( そのてはくわなのやきはまぐり )
「その手は食わない」という語を三重県桑名市の名物焼き蛤にかけたしゃれ。
61. 江戸の敵を長崎で討つ ( えどのかたきをながさきでうつ )
江戸で恨みを受けた相手を長崎で敵討ちする、ということから、意外なところで、あるいは筋違いのことで仕返しをする、という意味。
62. 伊勢へ七度熊野へ三度 ( いせへななたびくまのへさんど )
あちこちの寺社へ何度も信心参りをする。信心の厚いことをいう。
【参考】 伊勢は三重県の伊勢神宮、熊野は和歌山県の熊野三社をさす。
63. 人間到る処青山あり ( にんげんいたるところせいざんあり )
故郷だけが骨を埋める土地とは限らない。人間が活動する場所はどこでもある。
【参考】 幕末の僧月性の詩に「骨を埋むるに何ぞ期せん墳墓の地、人間到る処青山あり」とある。
「人間」は「じんかん」とも読む。「青山」は墓地をいう。
64. 始めきらめき奈良刀 ( はじめきらめきならかたな )
奈良刀は室町時代後、奈良付近で大量生産された粗悪な刀のことで別名奈良物とも呼ばれる鈍刀。
このようななまくら刀は、はじめのうちは光っていても、じきにさびて使い物にならなくなる。