33. 河豚は喰いたし命は惜しい ( ふぐはくいたしいのちはおしい )
河豚料理は、おいしいから食べたいが、中毒の危険があるから食べるのをためらう、ということから、
快楽は得たいけれど、あとのたたりがこわくてためらう、という意味。
【類句】 蜜は甘いが蜂が刺す
34. 河海は細流を択ばず ( かかいはさいりゅうをえらばず )
大人物になるには、度量広く、どんな種類の人でもえり好みをしないで、自分の仲間に入れなければならない、という意味。
川や海はどんな小さい流れもいとわずに包容するから、大きな川や海となることができるのである。
【類句】 泰山は土壌を譲らず
35. 河漢の言 ( かかんのげん )
とりとめのない言葉。
天上の天の川が、遠くてきわまりないように、あまり大きすぎてわからないこと。
【参考】 「河漢」は天の川。
36. 白河夜船 ( しらかわよふね )
ぐっすり眠りこんでいて、何があったかを全く知らないこと。
京都の白河のことを聞かれて、川の名だと思い、夜船で通ったから何も見えなかったと言ったために、
京見物に行ったといううそがばれてしまったことから生まれたことば。
【参考】 白河は京都の北にある地名。
37. 懸河の弁 ( けんがのべん )
すらすらとよどみなく話す弁舌。
「懸河」は、急流や滝。立て板に水を流したようにしゃべりまくる意味。
38. 百年河清を俟つ ( ひゃくねんかせいをまつ )
いくら望んでも実現できないたとえ。
いつも濁っている黄河の水の澄むのを、待ち望んでいても不可能である、という意味。
【参考】 「河清を俟つ」ともいう。
39. 山厲河帯 ( さんれいかたい )
泰山が砥石のように小さくなり、黄河が帯のように細くなろうとも、決して変わらないという誓いの言葉。
40. 暴虎馮河 ( ぼうこひょうが )
「暴虎」は、虎を手討ちにすること、「馮河」は、黄河を歩いて渡ることの意で、血気にはやった向こう見ずな危険な行いのことをいう。
41. 海に千年河に千年 ( うみにせんねんかわにせんねん )
長い間、苦しい経験を積んで悪賢くなり、とても一筋縄ではいかない者のことをいう。
42. 国破れて山河在り ( くにやぶれてさんがあり )
「国」は国都。戦乱などのために国都は破壊されても、自然の風物だけはもとのままである、という感慨の言葉。
【参考】 芭蕉の『奥の細道』で、平泉を訪れたところにこの句を引用している。
43. 一樹の陰一河の流れも他生の縁
( いちじゅのかげいちがのながれもたしょうのえん )
いっしょに同じ木の陰に宿り、いっしょに同じ川の水を飲むのも、すべて前世からの因縁である。
お互いに仲良くし、親切にすべきである、という仏教の精神。
【参考】 「他生」は「多生」とも書く。
【類句】 袖すり合うも他生の縁
44. 陸に上がった河童 ( おかにあがったかっぱ )
河童は陸に上がると無力になるということから、環境が変わって、
今までのように得意な能力や技量が発揮できなくなる状態。また、そうなった人。
【類句】 陸に上がった船頭
45. 淵は瀬となる ( ふちはせとなる )
世の中の移り変わりや、人の浮き沈みのはげしいことのたとえ。
【類句】 飛鳥川の淵瀬
46. 淵中の魚を知る者は不祥なり
( えんちゅうのさかなをしるものはふしょうなり )
秘密を知ることは身のためにならないことがあること。
また、政治を行なうのに重箱のすみまでほじくるように、小さなことまで干渉するやり方はよくない、ということのたとえ。
47. 淵に臨みて魚を羨むは退いて網を結ぶに如かず
( ふちにのぞみてうおをうらやむはしりぞいてあみをむすぶにしかず )
淵に面して魚を欲しいと思ってただみているよりは、帰って魚を取る網を編んだほうがよい、ということから、
他人の幸福をうらやむよりは、自分で幸福を得る工夫をすべきである、という教訓。
48. 深淵に臨むが如し ( しんえんにのぞむがごとし )
深いふちの岸に立っているように、危険な場合に出合わせていること。
49. 飛鳥川の淵瀬 ( あすかがわのふちせ )
飛鳥川(奈良県の中部を流れて、大和川に合流する小さな川)は、水流の変化がはなはだしく、
そのため深い所(淵)と、浅い所(瀬)とが変わりやすいことから、
世の中や人情が絶えず移り変わって、無情なさまをいう。
【参考】 『古今集』雑下の「世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる」という歌に基づく。
50. 網無うて淵をのぞくな ( あみのうてふちをのぞくな )
網を持たないで、魚をとるために淵に行ってもむだである。
準備・用意なしに事をはじめてもむだで、結果だけを得ようとする不心得を戒めた言葉。
51. 斧を掲げて淵に入る ( おのをかかげてふちにいる )
物を用いるにはその所を得なければ、かえって足手まといになる。
斧を持って水中に入れば、役に立たないばかりか重みのために沈む。
適材を適所に用いなければ意味がないこと。
52. 瀬を踏んで淵を知る ( せをふんでふちをしる )
まず浅いところを渡ってみて、深い場所を知るということから、まずやさしいことを試してみてから、危険な場所を知る。
53. 石を抱いて淵に入る ( いしをだいてふちにはいる )
石を抱いて深みに飛び込んでは浮き上がれない。
助かる可能性をみずから捨てるような無謀な行い、自殺的な行為、という意味。
54. 滴り積もりて淵となる ( したたりつもりてふちとなる )
一滴一滴のしずくも集まれば深い淵となる。
ごくわずかなものでも数多く集まれば大きな存在となる、という意味。
55. 瀬を踏んで淵を知る ( せをふんでふちをしる )
まず浅いところを渡ってみて、深い場所を知るということから、まずやさしいことを試してみてから、危険な場所を知る。
56. 浅瀬に仇浪 ( あさせにあだなみ )
川の浅瀬には波が立ち、深いところには波が立たない。
考えの浅い者ほど、口数多く騒ぎ立てる、という意味。
【類句】 空き樽は音が高い
57. 沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり ( しずむせあればうかぶせあり )
苦境に陥ることもあれば栄えることもあって、人の運命の盛衰は定まらない。
58. 淵は瀬となる ( ふちはせとなる )
世の中の移り変わりや、人の浮き沈みのはげしいことのたとえ。
【類句】 飛鳥川の淵瀬
59. 飛鳥川の淵瀬 ( あすかがわのふちせ )
飛鳥川(奈良県の中部を流れて、大和川に合流する小さな川)は、水流の変化がはなはだしく、
そのため深い所(淵)と、浅い所(瀬)とが変わりやすいことから、
世の中や人情が絶えず移り変わって、無情なさまをいう。
【参考】 『古今集』雑下の「世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる」という歌に基づく。
60. 夫の心と川の瀬は一夜に変わる
( おっとのこころとかわのせはいちやにかわる )
男の愛情の変わりやすいことのたとえ。
61. 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ ( みをすててこそうかぶせもあれ )
水におぼれかかった時、悪あがきをすれば、いっそう深みにはまってしまう。
自分の体を一度捨てると体も浮き、背の立つ浅瀬に出ることもできる。
危険の時には、命を捨てる覚悟があればこそ、窮境を打開して何とか活路を見いだせるのである、という意味。
62. 負うた子に教えられて浅瀬を渡る
( おうたこにおしえられてあさせをわたる )
背におぶった子供に、浅いところを教えてもらって川を渡る。
賢い者も老練な者も、時には、愚かな者や未熟な者から教えられることがある、という意味。