97. 食わず嫌い ( くわずぎらい )
食べてみもしないで、嫌いだと決めてしまうこと。
物事をやってみもしないで、むやみに嫌うことについていう。
98. 食わず貧楽高枕 ( くわずひんらくたかまくら )
貧乏して食うものに不自由していても、心は安らかだということ。
清貧に甘んずるの境地。
99. 食わせて置いてさてと言い ( くわせておいてさてといい )
食わせたり飲ませたりごちそうして、義理にも断れないようにしておいてから、さて、と用件を持ち出すこと。
現代では、こんなことがすべて行われている。
【参考】 「うまい物食わす人に油断するな」ともいう。
100. 食わぬ飯が髭に付く ( くわぬいいがひげにつく )
身に覚えがないのに疑いを受けること。
盗んで食べもしないのに、ひげに飯がついているといって疑われる。
無実の罪をなすりつけられること。
101. 愚を守る ( ぐをまもる )
知識や才能をかくして、愚か者のようにふるまうこと。
知識を見せびらかして利口ぶらないこと。
102. 君子危うきに近寄らず ( くんしあやうきにちかよらず )
教養のある立派な人は、危険なことは避ける、ということから、
むやみに危険なことに近づいて、無用な災難に遭わないようにすることをいう。
【参考】 「虎穴に入らずんば虎児を得ず」は、この反対。
103. 君子争う所無し ( くんしあらそうところなし )
徳のある人は人と争うことがない。
もし争うとすれば弓術ぐらいである。
104. 君子と小人と父母にかかわらず
( くんしとしょうじんとふぼにかかわらず )
君子になるのも小人になるのも、生んだ父母に関係がなく、
自分が勉強したかしなかったかによるもので自分の責任である。
105. 君子に九思あり ( くんしにきゅうしあり )
君子が、常に心がけなければならない考え方が九つある。
視るときは明(はっきりと)と思い、聴くときは聰(はっきりと)を思い、顔色は温(温和)を思い、
態度は恭(慎しみ深く)を思い、言葉は忠(誠実)を思い、仕事は敬(慎重)を思い、疑いは問(問いただす)を思い、
怒った時は難(難事の起こらざる)を思い、得るときは義(正しいか否か)を考えるべきである、というのである。
106. 君子に三畏有り ( くんしにさんいあり )
君子には三つのおそれ慎むべきものがある。
一は天命をおそれ、二は有徳の大人をおそれ、三は聖人の言をおそれる。
【参考】 論語の中の言葉。
107. 君子に三戒有り ( くんしにさんかいあり )
君子は若い時は色欲を戒め、壮年には人と争うことを戒め、
老いては欲深くなることを戒めなければならない。
108. 君子に三楽有り ( くんしにさんらくあり )
君子には三つの楽しみがある。
父母ともに健在で兄弟が無事なこと、自分の行いが天地人に恥じないこと、
天下の英才を集めて教育すること。
109. 君子に二言なし ( くんしににげんなし )
君子は一度言ったことは固く守る。
守らないならどんなことでも言えるが、守るからには軽々しく言えない。
110. 君子の過ちは日月の食の如し
( くんしのあやまちはじつげつのしょくのごとし )
君子のおかす過ちは、日食・月食のようなもので、一時明徳をおおわれても、
すぐ改めてもとの君子にかえり、少しもその徳を傷つけない。
111. 君子の交わりは淡きこと水の如し
( くんしのまじわりはあわきことみずのごとし )
教養のある立派な人の交際は、あっさりとして水のようであるが、その友情は永久に変わらない。
112. 君子は憂えず懼れず ( くんしはうれえずおそれず )
教養のある人は、いつも正しい道徳を実践していて何もやましいところがないので、
少しも心配することもないし恐れることもない。
【類句】 君子は終身の憂いありて一朝の患いなし
113. 君子は屋漏に愧じず ( くんしはおくろうにはじず )
君子は人の見ていない奥の部屋で、一人でいても慎み深く、良心に恥じるようなことはしない。
114. 君子は器ならず ( くんしはきならず )
器物はそれぞれ一つの用に適するだけであるが、徳のある人はこれと違い、
ただ一芸一方に通じるだけではない。すべてにわたって円満な人格者である。
115. 君子は義に喩り小人は利に喩る
( くんしはぎにさとりしょうじんはりにさとる )
教養のある人は、すべての物事を、正しい道に合うかどうかと考えるが、
徳のない無教養の人は、どうしたら利益を得られるかと、そればかりを考えるものである。
116. 君子は九度思いて一度言う ( くんしはくたびおもいていちどいう )
君子はよく考えてから言う。それで言うことは少ない。口数は少ない。
117. 君子は言に訥にして行ないに敏ならんと欲す
( くんしはげんにとつにしておこないにびんならんとほっす )
教養のある人は、口先は下手でも、行動は機敏でありたいと願うものである。
118. 君子はこれを己に求め小人はこれを人に求む
( くんしはこれをおのれにもとめしょうじんはこれをひとにもとむ )
人格者は過ちがあると何事でもまず自分を反省し、徳の足りない人はその原因を他人のせいにしようとする。
119. 君子は独りを慎む ( くんしはひとりをつつしむ )
教養のある人は、人の見ていないところでも自分の行いを慎む。
120. 君子は豹変す ( くんしはひょうへんす )
「豹変」は豹の毛が抜け変わってその文様があざやかになることで、教養のある人は、
過ちと知ったらすぐに改めて善に移るのが、極めてはっきりしている。
現在では、主義・主張をドライに変えることの意味に使うことが多い。
121. 君子は交わり絶ゆとも悪声を出さず
( くんしはまじわりたゆともあくせいをいださず )
人徳のある人は、絶交するようなことになっても決して相手の悪口を言わない。
122. 葷酒山門に入るを許さず ( くんしゅさんもんにいるをゆるさず )
ねぎ・にんにく・にらなどの臭い野菜と酒とは、浄念を乱し、修行の妨げとなるから、寺門の中に持ち込んではならない。
禅寺などで、寺門のそばの戒壇石に刻んである標語。
【参考】 漢文では「不許可葷酒入山門」である。
123. 薫は香を以て自ら焼く ( くんはこうをもってみずからやく )
香草はそのよい香りのために焼かれる。
有能な人がその才能のために、身をあやまり滅ぼすということのたとえ。
124. 軍は和にあって衆にあらず ( ぐんはわにあってしゅうにあらず )
戦いには兵が多いからいいのではなく、一致和合しているのがよいということ。
事業にも和が大切である。
125. 群盲象を評す ( ぐんもうぞうをひょうす )
凡人が大事業や大人物を批判しても、その一面に触れるだけで、全体を見渡すことはできないということ。
多くの盲人たちが一頭の象をなでて、それぞれ自分の触れたところだけで、桶のようだ、太鼓のようだ、
杖のようだ、ほうきのようだ、と見当違いの批判をしたという故事。
【参考】 「群盲象を撫(な)つ」ともいう。
126. 群羊を駆って猛虎を攻む ( ぐんようをかってもうこをせむ )
羊を集めて虎を攻める。
弱国を数多く連合させて、強大国に対することのたとえ。
127. 群を抜く ( ぐんをぬく )
同種のものの中で、とび抜けて優れていること。
【例】 「彼女は会社でも群を抜いて業績がいい」